(原載:『朝日新聞』2013年(平成25年)8月19日(月)夕刊)
吉田 富夫佛大名誉教授
よしだ・とみお 1935年生まれ。京都大学大学院修了。佛教大学教授、文学部長、副学長などを経て2008年から名誉教授。専門は現代中国文学。ノーベル文学賞受賞作家・莫言(モー・イエン)さんの「豊乳肥臀(ほうにゅうひでん)」などの翻訳で知られる。
自分の国が無くなる、ということはこの地球上でありうる。知識としては分かるが、ぼくら日本人には、なかなか実感できない。かつての満州国(中国東北部)の新京(今の長春)で小学校から高校までを過ごした竹内実さんは、太平洋戦争での敗戦とともに、そうした稀有(けう)な体験をされた。その際の喪失体験が竹内さんの感性のベースにあって、つねに物事の背後に目を配る、あの独特の複眼を生んだように思える。
「日本人にとっての中国像」は竹内さんの早い時期の代表的著作の一つだが、その題名を「中国観」とせず「中国像」としたことについて、「あとがき」で「わたしはむしろ、体系にならない断片的なもの、ほとんど無意識ともいえる領域に関心があった」と書いておられる。その姿勢は、毛沢東から魯迅、さらには孔子などの巨人から、杭州(こうしゅう)の町の屋台の親父(おやじ)さんにいたる大小さまざまな中国人を論じた膨大な著作に一貫している。それらは必ずしも大上段に振りかぶった中国論ではないが、絶えずそこから中国と中国人をめぐるこちらの智慧を引き出してくれるヒントに満ちている。
ぼくが直接教えを受けるようになったのは、1973年に京都大学人文科学研究所に赴任してこられてからだが、それでも足掛け40年にはなり、竹内さんの学究生命の半ばを超えている。
晩年には心臓に懸念がでてほとんど口にされなかったが、一時期はなかなかの酒豪でもあった。研究会のあとはかならず酒席になったが、ご機嫌ないい酒で、そこで竹内さんが発せられる意表をつく中国像が新鮮で楽しみだった。
別の一面では、武者小路千家の家元の直弟子で、名誉十徳を授けられた茶人でもあって、研究室を訪ねると鮮やかな手さばきで抹茶を点(た)ててくださった。中国に行かれても、しばしば魔法瓶のお湯で茶を点てられた。
思うに、竹内さんの中では、やれ日本だ、やれ中国だといった、民族へのこだわりはよほど薄く、それが中国や中国人を考える際のあの自在なゆとりを生んでいたように思える。日中関係がぎくしゃくするいまこそ、竹内さんのあのゆとりある発想が欲しいと思うが、もはやその謦咳(けいがい)に接することはかなわない。失われたものは、あまりに大きい。
(寄稿)
【写真キャプション】
中国人作家の莫言さん(右)来日時の食事会での竹内実さん(中央)。左は吉田富夫さん。莫言さんは2012年にノーベル文学賞を受賞した=1999年、京都市左京区、吉田さん提供。
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